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マイペースに更新していきます

アダルトチルドレンとは何なのか?

このブログは、内容や順序が前後したりします。

私の回復への道筋や記憶の旅と同様にいったりきたり

その時感じていること、思っていることを綴っていきたいと思います。

アダルトチルドレンとは一体なんなのか?

元々米国でアルコール依存症の夫とその妻の関係性に着目した共依存という概念が1970年代に注目され、その病理性についての研究が進んでいました。そして、同時にその夫婦の子供たちへもアルコール依存症が伝播したり、また後年自らの原家族と同じような家族を構成していることが分かってきたのです。例えば、アルコール依存症の父親に苦しんだ娘が、将来アルコール依存症の夫と家族をつくるなど・・

 

この状況を踏まえて、アルコール依存症の親のもとで育った子供をAdult children of alcoholics(ACOA)と定義づけるようになりました。この概念は1980年以降日本にも持ち込まれ一種のブームにすらなるのですが、図らずも今まで名前のなかった症状への名付けがされたことによりようやく自覚するに至った方が当時は非常に多かったようです。

 

アダルトチルドレンについては多くの書籍がありますが、

アダルトチルドレンと家族」(著)齋藤学

https://m.media-amazon.com/images/I/41vUAoD8h8S.jpg

がたいへん詳しいので興味のある方はそちらを最初に読んでいただくことをお勧めします。ちなみに、当初はアルコール依存症の親のものとで育った子どもを指していたアダルトチルドレンという言葉ですが、共依存や他の依存症(ギャンブル、薬物など)、嗜癖(浮気癖など)、DVなどの問題を抱えている親のもとで育った子供にも同様の傾向が見られたため、今日ではより広義に「機能不全家族」のもとで生育し、何らかの心理的トラウマを抱えたままに成人した人々を指すようになりました。ここでは、いわゆる過干渉や支配的な「毒親」の元で育った子供も含まれています。

 

アダルトチルドレンを病名や症状と呼ぶのはやや短絡的です。たしかに、依存症やうつ病を筆頭に何らかの精神病につながるケースも多いのですがアダルトチルドレン自体が病気というわけではありません。アダルトチルドレンとは、「機能家族」のもと決められた役割などなく、あるべき幼少期の発達段階において安全な家族の中で安心した環境がなかった存在です。子供は特別なことなどなくとも、明日が今日と同じであると信じることができることで社会や他人への信頼感を醸成することができます。それは安全な空間である家庭内が機能していて初めて実現されることです。

 

機能不全家族においては、それが醸成されないのです。

下記に例示をします。

 

機能不全家族
・非合理的なルールが強く維持されている
・子どもを守るという親の役割が放棄され、子どもが親のケアをすることがある
・家族もすでに分かっているけれど、公にできない秘密がある(性的虐待など)
・家族のなかに他人が入り込むことに抵抗がある
・暗い雰囲気でほとんど笑いがない
・家族同士のプライバシーがない(個人間の境界があいまい)
・家族から離れることが許されていない
・家族間の嫌なことや葛藤などは否定されて無視される
・変化に抵抗する
・家族は分断され、統一性がない

【機能している家族】
・親子それぞれの基本的なルールはあるが、柔軟に対応しながら家族を運営している
・親としての役割が機能し、子どもは親の役割を受け入れる。役割分担が明確で迷いがない
・家族に他人が入ることを許容する
・ユーモアのセンスが共有され、親にも子にも笑いがみられる
・家族それぞれのプライバシーが尊重され、自己という感覚を発達させている
・家族それぞれが家族であるとの所属感覚を持つが、家族から去ることも自由である
・家族間の葛藤はあって当然とされていて、そのたびに解決が試みられる
・常に変化し続ける
・家族に一体感がある

 

これらを踏まえて、私がかなり納得感をもてた考え方が

 

アダルトチルドレンとは「アイデンティティでありルーツである」

 

ということです。サバイブするために作り出して自分を守ってくれた「インナーチャイルド」も、その犠牲の上にある今の自分も、その結果今抱えてしまっている生きづらさも全てがアイデンティティでありルーツなのです。したがって、今の自分とは切り離すことはできないと言えるでしょう。克服したと感じてうまく生きられていたとしても、いつかは向き合うタイミングが出てくると思います。個人的には、人生に関わる重要な局面においてはアダルトチルドレンというアイデンティティでありルーツを自覚して判断しなければ、後々の問題に繋がる可能性があると考えています。

 

アダルトチルドレンは否定も忘却もできない。ただ、認知と癒しの積み重ねにおいてのみ自分の一部として受け入れることができ、深い慈しみと安心によって同化していくのではないでしょうか。

 

このプロセスは非常に危うい足場の上に成り立っています。私自身がそうでしたが、自分がアダルトチルドレンであると自覚するということに信じられないほどの時間と労力とリスクがかかります。当然ですが、サバイブするために作り出した考え方、習慣、行動の結果が今の自分なのである意味気づいた時の年齢に至るまでの月日を、ある意味で否定することになります。自然と健全に成長したと思っている今の自分が作られた自分であると自覚することは大きな痛みと喪失感を伴います。

 

昨日自分が話したことですら、モヤモヤしてたりあれで良かったのかな?と気にしたりするレベルですので、33歳で気づいた人が33年の自分を疑ったり一部を否定するというのは考えただけでも恐ろしいですよね。。。

 

しかし、ここが第一歩なのです。自分の中では全てが崩れ落ちる音がして世界はグラグラ揺らぐでしょう。この時に安心できる環境がないのであればうつ病などに繋がることすらあると思います。自己否定の波に押し流される恐怖もあります。したがって、専門家の指導のもとでのカウンセリングやセラピー、または十分に信頼できる自助グループに通う、あるいは今の家族に支えてもらえる環境を整備しておく。などが重要です。

 

私の場合は、離婚の危機というタイミングでようやく気づくことができ、アダルトチルドレンの専門カウンセラーの元で書籍なども教えてもらいながら、回復に向けた歩んでいます。またこの過程や過去の話もしていければと思いますが最後にお守りのように私を支えてくれている本を一冊紹介しておきます。

 

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説明:アファメーションとは、自分を肯定する言葉です。自分を大切にする言葉です。自分を愛する言葉です。自分を心からサポートする言葉です。自分の人間性を前向きに受けとめ、新しいことを学び、よりよい人間へと成長するよう勇気づける言葉です。本書は、機能不全な家族で育った、いわゆるアダルト・チルドレン(AC)と言われる人たち、または自分のことより相手の問題にとらわれてしまう、いわゆる共依存(コ・ディペンデント)と言われる人のためにつくられたものです。毎日1ページずつ繰り返し、繰り返し読みます。

 

こちら、カウンセラーの先生にお勧めしてもらった非常に優しい本です。日記をめくるようにゆっくり読んでみてください。私はこの本によって一歩目を踏み出すことができたように思います。心の安全基地、お守りとして何回も何回も読むことをお勧めします。