わたしの物語①
ルーツ・生い立ち
わたしは3人兄弟の末っ子として関西で生まれました。4歳くらいまで関西で育ち、そのあと父の仕事の関係で田舎へと引っ越しました。その頃の記憶は断片的ですが、あまり不自由なく暖かい幼少期を過ごしていたこと感覚があります。
幼稚園には年中から通い始めました。そこでも大きなトラブルなく、よくある田舎の幼稚園生でした。ただ、その頃から人より敏感な傾向がありHSPの兆候があったように思います。実家は二世帯住宅で100坪程度の広い家でした。これもまた、よくある田舎の家族でそこそこ幸せに暮らしていました。特筆すべきことがあるとすると、とても計算が得意で幼稚園の頃から1000桁までの暗算ができ、割り算や掛け算、小数点についても暗算ができました。特にそろばんに通っていたことはないので、この能力は全くもって謎なのですが、この暗算能力に頼りすぎたことと特に才能が伸びることもなく中学以降は数学が伸び悩んでいくことになります・・
年長になると小型犬を飼い始め、とても仲良しになりました。これまたよくある田舎の家族像です。どちらの祖父母とも仲が良かったのですが、兄弟も含めこの頃から誰とでも仲良くしているのは自分だけという状況が見え隠れし始めるようになります。誰からもすごく優しくていい子だと言われて育ちました。これは、一見するととても良い事のように思えるのですが今の自分からするとある種の呪縛にも思えています。
こちらがいわゆるいい子症候群のチェックリストなのですが、小さい頃の私に関して言うと少し当てはまらない気がしています。(むしろ今の方が当てはまる)
□表情がいつもどこか暗い
□感情表現が苦手
□やりたいことや欲しいものなど自分の意見を言わない
□食べたいものを聞くといつも「何でもいい」「お母さんのいいものがいい」などと答える
□人とコミュニケーションを取るのが苦手
□テストでいい点数をとっても不安な様子
□必要以上に失敗を恐れ、正解だけを求める
□イヤと言ったり、反論したりしない
□ささいなことも自分で判断できない
□すぐに親や大人の指示を求めてしまう
たしかにいい子ではあったのですが、当時はいい子ぶるといったことや条件付きの愛情*にコントロールされていたわけではありませんでした。ただ、人より敏感で、どうすれば相手が喜ぶかということは幼稚園~小学校低学年の頃に行動としても反映していたように思います。
*条件付きの愛情
例えば、
- お片付けをしたら抱っこしてあげる
- テストで良い点を取ったらおもちゃを買ってあげる
などの交換条件は、
- 失敗すると親の愛情が無くなる恐怖
- 親に認めてもらえない不安
などに繋がります。
2-2. やがて子どもは…
そして、そのような恐怖や不安を与え続けられた子どもは、
- 自主性が育たない
- 他人に振り回されがちになる
というのが、巷でよくある「条件付きの愛情」理論の概要です。
私の場合はこれとは異なり、相手の感情や反応への鋭い洞察力と元々持っていた性質としての優しさがあったため"優しくていい子"になっていたのだと思います。やはり、HSPの気質が大きく影響していたようです。あるエピソードを披露すると、祖母と母とそこそこ良いお店で昼食を取っていたのですが私は小学校低学年にも関わらず、値段を見て遠慮していたこともありました。また、よくもらったお小遣いで祖母や親にプレゼントを買っていました。相手の反応に敏感なあまり、それが自分の喜びになっている反面、本当に自分のしたいことと相手が喜ぶことの境界線が当時から曖昧になる土壌があったのです。
小学校高学年からは家族に暗雲が立ち込めていきますが、その話はまた次回。