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イネイブラー

四次元ポケットには何でも入っているのか

 

今日は最近、気になっているイネイブリング(それを提供するイネイブラー)について考えてみました。

 

皆さんはこんな経験はないでしょうか?人間関係の中で、依存される・同じ問題を度々引き起こしている・前に進まず泥に沈んでいるようだ・・

それらは実は、(相手を介して)自分が引き起こしているのかも知れません。

一見するとパラドクスに感じるのですが、俯瞰して考えた時に自分自身の行動を変えるきっかけになるはずです。

 

「イネイブリング」とは、やってほしくないと思っている行動があるのに、気がつかないうちにその行動をし続けても大丈夫なようにする周囲の人の行為です。

 

端的に言ってしまうと、元々はアルコール依存症の夫の妻に注目して発見された概念となります。夫がどれほどアルコールで失態を犯しても、側で妻が支えることで安心してアルコールに依存できてしまう。妻はアルコール依存を止めさせたいと言いながらも、夫を支配できる万能感から実は夫のアルコール依存を助長している。

 

これはよく起きそうな話です。そして、この歪な関係性によって夫婦、家族のバランスが取られてしまい共依存機能不全家族に繋がる事がよくあるようです。当然ですが、その際家族の役割や境界線は曖昧になり、子供に与える影響は大きいでしょう。妻は、外に対しては夫のアルコール依存を隠すでしょうし、子供に対して夫の辛辣な話をする(または隠す)一方で、夫に対しては泥酔した夜は厳しく接したり、しっかりしている朝には優しく接するかも知れません。このような一貫性のない環境に対して、子供は大きく混乱することは想像に難くないでしょう。

 

そして、このような話はアルコール依存の家族がイネイブラーとなる以外のケースでも起きえると思います。引きこもり、うつ病、何らかのアディクションを含めて本人はそこから救われたいと思いながらも救われたくないと考え行動している時に、それを許すことで助長する。甘えに対して受容することで、可能にする。まるで親に甘える子供に応えるかのように、いつまでもそのままで良いんだよと。

 

私は、イネイブラー側に十分な自己肯定感がなかったり、正しい愛情の注ぎ方を知らない場合に起きやすくなると考えています。あるいは相手の痛みや辛さに敏感過ぎて、過剰に反応してしまうケース。いずれの場合も相手と自分との境界線が曖昧になっている気がしてなりません。相手の状況や感情は相手に帰属するものです。私たちは、自分の感情をコントロールすることすらできないので、相手の感情など到底コントロールできません。しかし、応えようとしてしまうのです。救おうとしてしまうのです。それは健全な愛情からくる行動ではないでしょう。同化による支配、罪の意識、事態の収集など刺激に対する反応でしかありません。

 

私もよくそのような行動を取ってしまいます。空気が悪くなると責任を感じて収集しようとしたり、怒っている人がいると辛く感じて解消しようとしたり。その背景の感情や相手の責任を自分で取ろうとすることもあります。そうすると、何が起きるのか?また同じことが起きるのです。優しさと無責任さは紙一重です。無責任は同じ問題を引き起こすきっかけになります。そして、また辛い思いをするのは自分なのです。

 

では、どうすればいいのか?

 

無視する、放っておくことを覚えるということです。こんな話があります。アルコール依存症の夫は毎晩のようにお酒を飲んでは問題を起こし、妻は疲れ切ってました。ある夜、妻が気づくと夫は階段の下で倒れていました。どうやら酒に酔って転倒したようです。妻は大変混乱し、かかりつけのアルコール依存症専門の医者に電話しました。医者のアドバイスは「一旦ほったらかしにして数時間外出してください」というものでした。夫は何回も酒をやめると言いつつ、失敗を繰り返し、その度に「死にたい」「責任をとって死ぬ」と妻に言っていました。妻はその度に許してきました。

 

これによって夫はアルコール依存でい続けられていました。

 

妻が悪いわけではありません。人間関係の病とも言うべきアルコール依存症の一つの姿として存在する典型パターンがあるということです。この病は人の無責任と責任につけ込んで心を蝕みます。真面目な"支える側"の人にとっては報われない話かも知れません。ただ、時には、一歩引いていつもと違う行動をしてみることも大事です。同じようなパターンの問題が続いている時、それは自分の行動パターンが引き起こしているのかも知れません。