Tsumugi

マイペースに更新していきます

寒いと疲れやすい

疲れがなかなか取れない

疲れているのでいつもより乱文仕様です。

 

寒さなのか、何なのか最近一層疲れやすいです。ちゃんと寝れていない。

仕事は2年くらいリモートでよくも悪くも忙しいので、一日が終わると大体どっと疲れます。ただ、自分の場合はZOOM MTGが多かったり、マルチタスクが多いといのもあるのですが、HSP気質なのが災いしていると感じます。

 

仕事柄よくファシリテーションをするのですが、なんと便利な能力で小さい画面(TVで言うところのワイプ)であっても参加者の表情や仕草の情報を過敏に察知してしまうのです。このお陰でファシリテーションがうまい(瞬時に空気を読んだり、場を回せるから)と言われることが多いのですが、代償は大きいです。とにかく疲れる。

 

話が少しずれますが、HSP気質故か人の感情が入ってきやすく、かつ人の感情と自分の感情の境界線が曖昧なので、辛そうにしてる人を見ると自分も辛くなったりするのですが、少し病理的なのは普段垣間見ない弱っている姿や辛そうな姿を見ると、過剰に支えたくなるというところです。ここは典型的なアダルトチルドレンの特性ですね。自分の特性としてはケアテイカー>>ヒーロー>ピエロ>イネイブラー>>>スケープゴート・ロストワンといった感じです。

 

アダルトチルドレンの持つ特性(分類)は以下の通りです

 

(1)ヒーロー(英雄)

勉強やスポーツで良い成績や評価をもらうことを第一としています。しっかり者、頑張り屋さんというように見られることがありますが、そうした努力は自身のためではなく親の期待に応えるために、もしくは家族の雰囲気を悪くしないための防衛的で、後ろ向きな意味合いがあります。

こうした努力が実っている内は良いですが、それが何らかのきっかけで挫折したり、失敗したりしたときに、心がぽっきりと折れてしまい、破綻してしまいます。

(2)スケープゴート(生贄)

ヒーローとは全く反対に、問題行動を起こしたり、過剰に低い成績を取ったりして、家族の中で悪者や問題児の立場を引き受けます。家族の憎しみや怒りや不満、鬱憤を一人で引き受け、そのことにより家族のバランスを取ろうとしているのです。家族の中のゴミ箱的な役割とも言えます。

(3)ロストワン(いない子)

家族の中での存在を消し、いない子どもとして、生まれてこなかった子どもとして家族との関係を断ち、ひっそりと気配を感じさせずに生きていこうとします。

時には迷子になっても家族のだれからも気付かれることがなく、旅行にも連れて行ってもらえず、家の中にはいても、いつも一人で孤独にいます。

(4)ケアテイカー(世話役)

献身的に家族の世話をし、愚痴を聞き、支えることを過剰なまでに行います。それは自己犠牲的であり、自虐的でもあります。家事をしない親に代わって家事をしたり、養育をしない親に代わって弟妹の面倒をみたりします。そして自身のことは何でも後回しにしてしまいます。

そうした家族を維持する機能を一身に背負って家族が崩壊しないように、バランスが取れるに努力をします。

(5)ピエロ(道化師、クラウン)

家族の暗い雰囲気を回避するために、おどけたり、おちゃらけたり、冗談を言ったり、面白いことを言って笑わせたりして明るい雰囲気を作ろうとします。

ひょうきんで明るい性格に一見すると見えますが、過度に雰囲気を読み取り、人の表情を伺い、どうすれば険悪なムードにならないかと常にビクビクしていたりします。

(6)イネイブラー

イネイブラーはケアテイカーとやや似ています。ケアテイカーと同じように、自己犠牲的で、献身的に尽くします。

イネイブラーでは献身的に尽くしますが、その尽くし方が相手のためにならない尽くし方をします。例えば、アルコール依存症の人にために、アルコールをせっせと用意するなどです。相手の依存を助長するような尽くし方をするため、相手がさらにダメになっていきます。

ケアテイカーは本当に当てはまりますね。そのため依存されやすくもありますが、自分は自分で親密な関係を構築するのが苦手なので、思ったよりこちらは自己開示できなかったりして人間関係が安定しません。

 

また、HSP気質は常に発動していますが、このアダルトチルドレンの特性は家族だけでなく職場、実は上司との間でも見られるので要注意です。

 

最近の私は、親からは常に優しくて思いやりがあると言われてきて、実際そういう行動も多く取っていたのですがこれは本当だったのか。と疑問に思っています。

生まれ持った特性は一生変わらないというので、実際に優しくて思いやりがある部分はあると思うのですが、HSP気質なのでより敏感に感じ取り、そして放置できないから優しく振る舞っているという側面もあると感じています。事実、ただ単に優しいだけでなく強かなところもあるので・・・

 

毎日、一つ一つが気づきと発見です。

読んだ本のこと

面白いエッセイ

久々に声を出して笑った本がありました。しかも、なんとなく読んだ本です。Kindle Unlimitedにあったハライチ 岩井勇気さんの

 

「僕の人生には事件が起きない」

 

です。インパルスみたいなコンビの、澤部じゃない方、の方ですね。

 

[岩井勇気]の僕の人生には事件が起きない

 

結論、とても読みやすくて面白く、文章の才能がある人だったんだなとファンになりました。内容はタイトルにある通りの日常について綴ったエッセイなのですが、その日常を独特な視点と言い回しで切り取っていて面白いのです。個人的に、さくらももこさんのエッセイと似た面白さを感じました。

 

最近重めの本ばかり読んでいたので、クリーンヒット。ホームランではないですが、気持ちのいい二塁打といった感じです。思えば自分もユーモアはある方だと思っているのですが、リモートワークや自省の日々の中で遠ざかっていた気がします。

 

色々な問題から逃げるための自虐・冗談やユーモアではなく、一度しっかり考えてから"捉え直す"時にはユーモアは有用だと思います。

 

明るい笑いに変えていく強さとしてのユーモアを今後も持っていきたいと思います。

アダルトチルドレンとは何なのか?

このブログは、内容や順序が前後したりします。

私の回復への道筋や記憶の旅と同様にいったりきたり

その時感じていること、思っていることを綴っていきたいと思います。

アダルトチルドレンとは一体なんなのか?

元々米国でアルコール依存症の夫とその妻の関係性に着目した共依存という概念が1970年代に注目され、その病理性についての研究が進んでいました。そして、同時にその夫婦の子供たちへもアルコール依存症が伝播したり、また後年自らの原家族と同じような家族を構成していることが分かってきたのです。例えば、アルコール依存症の父親に苦しんだ娘が、将来アルコール依存症の夫と家族をつくるなど・・

 

この状況を踏まえて、アルコール依存症の親のもとで育った子供をAdult children of alcoholics(ACOA)と定義づけるようになりました。この概念は1980年以降日本にも持ち込まれ一種のブームにすらなるのですが、図らずも今まで名前のなかった症状への名付けがされたことによりようやく自覚するに至った方が当時は非常に多かったようです。

 

アダルトチルドレンについては多くの書籍がありますが、

アダルトチルドレンと家族」(著)齋藤学

https://m.media-amazon.com/images/I/41vUAoD8h8S.jpg

がたいへん詳しいので興味のある方はそちらを最初に読んでいただくことをお勧めします。ちなみに、当初はアルコール依存症の親のものとで育った子どもを指していたアダルトチルドレンという言葉ですが、共依存や他の依存症(ギャンブル、薬物など)、嗜癖(浮気癖など)、DVなどの問題を抱えている親のもとで育った子供にも同様の傾向が見られたため、今日ではより広義に「機能不全家族」のもとで生育し、何らかの心理的トラウマを抱えたままに成人した人々を指すようになりました。ここでは、いわゆる過干渉や支配的な「毒親」の元で育った子供も含まれています。

 

アダルトチルドレンを病名や症状と呼ぶのはやや短絡的です。たしかに、依存症やうつ病を筆頭に何らかの精神病につながるケースも多いのですがアダルトチルドレン自体が病気というわけではありません。アダルトチルドレンとは、「機能家族」のもと決められた役割などなく、あるべき幼少期の発達段階において安全な家族の中で安心した環境がなかった存在です。子供は特別なことなどなくとも、明日が今日と同じであると信じることができることで社会や他人への信頼感を醸成することができます。それは安全な空間である家庭内が機能していて初めて実現されることです。

 

機能不全家族においては、それが醸成されないのです。

下記に例示をします。

 

機能不全家族
・非合理的なルールが強く維持されている
・子どもを守るという親の役割が放棄され、子どもが親のケアをすることがある
・家族もすでに分かっているけれど、公にできない秘密がある(性的虐待など)
・家族のなかに他人が入り込むことに抵抗がある
・暗い雰囲気でほとんど笑いがない
・家族同士のプライバシーがない(個人間の境界があいまい)
・家族から離れることが許されていない
・家族間の嫌なことや葛藤などは否定されて無視される
・変化に抵抗する
・家族は分断され、統一性がない

【機能している家族】
・親子それぞれの基本的なルールはあるが、柔軟に対応しながら家族を運営している
・親としての役割が機能し、子どもは親の役割を受け入れる。役割分担が明確で迷いがない
・家族に他人が入ることを許容する
・ユーモアのセンスが共有され、親にも子にも笑いがみられる
・家族それぞれのプライバシーが尊重され、自己という感覚を発達させている
・家族それぞれが家族であるとの所属感覚を持つが、家族から去ることも自由である
・家族間の葛藤はあって当然とされていて、そのたびに解決が試みられる
・常に変化し続ける
・家族に一体感がある

 

これらを踏まえて、私がかなり納得感をもてた考え方が

 

アダルトチルドレンとは「アイデンティティでありルーツである」

 

ということです。サバイブするために作り出して自分を守ってくれた「インナーチャイルド」も、その犠牲の上にある今の自分も、その結果今抱えてしまっている生きづらさも全てがアイデンティティでありルーツなのです。したがって、今の自分とは切り離すことはできないと言えるでしょう。克服したと感じてうまく生きられていたとしても、いつかは向き合うタイミングが出てくると思います。個人的には、人生に関わる重要な局面においてはアダルトチルドレンというアイデンティティでありルーツを自覚して判断しなければ、後々の問題に繋がる可能性があると考えています。

 

アダルトチルドレンは否定も忘却もできない。ただ、認知と癒しの積み重ねにおいてのみ自分の一部として受け入れることができ、深い慈しみと安心によって同化していくのではないでしょうか。

 

このプロセスは非常に危うい足場の上に成り立っています。私自身がそうでしたが、自分がアダルトチルドレンであると自覚するということに信じられないほどの時間と労力とリスクがかかります。当然ですが、サバイブするために作り出した考え方、習慣、行動の結果が今の自分なのである意味気づいた時の年齢に至るまでの月日を、ある意味で否定することになります。自然と健全に成長したと思っている今の自分が作られた自分であると自覚することは大きな痛みと喪失感を伴います。

 

昨日自分が話したことですら、モヤモヤしてたりあれで良かったのかな?と気にしたりするレベルですので、33歳で気づいた人が33年の自分を疑ったり一部を否定するというのは考えただけでも恐ろしいですよね。。。

 

しかし、ここが第一歩なのです。自分の中では全てが崩れ落ちる音がして世界はグラグラ揺らぐでしょう。この時に安心できる環境がないのであればうつ病などに繋がることすらあると思います。自己否定の波に押し流される恐怖もあります。したがって、専門家の指導のもとでのカウンセリングやセラピー、または十分に信頼できる自助グループに通う、あるいは今の家族に支えてもらえる環境を整備しておく。などが重要です。

 

私の場合は、離婚の危機というタイミングでようやく気づくことができ、アダルトチルドレンの専門カウンセラーの元で書籍なども教えてもらいながら、回復に向けた歩んでいます。またこの過程や過去の話もしていければと思いますが最後にお守りのように私を支えてくれている本を一冊紹介しておきます。

 

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説明:アファメーションとは、自分を肯定する言葉です。自分を大切にする言葉です。自分を愛する言葉です。自分を心からサポートする言葉です。自分の人間性を前向きに受けとめ、新しいことを学び、よりよい人間へと成長するよう勇気づける言葉です。本書は、機能不全な家族で育った、いわゆるアダルト・チルドレン(AC)と言われる人たち、または自分のことより相手の問題にとらわれてしまう、いわゆる共依存(コ・ディペンデント)と言われる人のためにつくられたものです。毎日1ページずつ繰り返し、繰り返し読みます。

 

こちら、カウンセラーの先生にお勧めしてもらった非常に優しい本です。日記をめくるようにゆっくり読んでみてください。私はこの本によって一歩目を踏み出すことができたように思います。心の安全基地、お守りとして何回も何回も読むことをお勧めします。

わたしの物語①

ルーツ・生い立ち

わたしは3人兄弟の末っ子として関西で生まれました。4歳くらいまで関西で育ち、そのあと父の仕事の関係で田舎へと引っ越しました。その頃の記憶は断片的ですが、あまり不自由なく暖かい幼少期を過ごしていたこと感覚があります。

 幼稚園には年中から通い始めました。そこでも大きなトラブルなく、よくある田舎の幼稚園生でした。ただ、その頃から人より敏感な傾向がありHSPの兆候があったように思います。実家は二世帯住宅で100坪程度の広い家でした。これもまた、よくある田舎の家族でそこそこ幸せに暮らしていました。特筆すべきことがあるとすると、とても計算が得意で幼稚園の頃から1000桁までの暗算ができ、割り算や掛け算、小数点についても暗算ができました。特にそろばんに通っていたことはないので、この能力は全くもって謎なのですが、この暗算能力に頼りすぎたことと特に才能が伸びることもなく中学以降は数学が伸び悩んでいくことになります・・

 年長になると小型犬を飼い始め、とても仲良しになりました。これまたよくある田舎の家族像です。どちらの祖父母とも仲が良かったのですが、兄弟も含めこの頃から誰とでも仲良くしているのは自分だけという状況が見え隠れし始めるようになります。誰からもすごく優しくていい子だと言われて育ちました。これは、一見するととても良い事のように思えるのですが今の自分からするとある種の呪縛にも思えています。

 

こちらがいわゆるいい子症候群のチェックリストなのですが、小さい頃の私に関して言うと少し当てはまらない気がしています。(むしろ今の方が当てはまる)

 

□表情がいつもどこか暗い
□感情表現が苦手
□やりたいことや欲しいものなど自分の意見を言わない
□食べたいものを聞くといつも「何でもいい」「お母さんのいいものがいい」などと答える
□人とコミュニケーションを取るのが苦手
□テストでいい点数をとっても不安な様子
□必要以上に失敗を恐れ、正解だけを求める
□イヤと言ったり、反論したりしない
□ささいなことも自分で判断できない
□すぐに親や大人の指示を求めてしまう

 

たしかにいい子ではあったのですが、当時はいい子ぶるといったことや条件付きの愛情*にコントロールされていたわけではありませんでした。ただ、人より敏感で、どうすれば相手が喜ぶかということは幼稚園~小学校低学年の頃に行動としても反映していたように思います。

 

*条件付きの愛情

 

例えば、

  • お片付けをしたら抱っこしてあげる
  • テストで良い点を取ったらおもちゃを買ってあげる

などの交換条件は、

  • 失敗すると親の愛情が無くなる恐怖
  • 親に認めてもらえない不安

などに繋がります。

2-2. やがて子どもは…

そして、そのような恐怖や不安を与え続けられた子どもは、

  • 自主性が育たない
  • 他人に振り回されがちになる

というのが、巷でよくある「条件付きの愛情」理論の概要です。

私の場合はこれとは異なり、相手の感情や反応への鋭い洞察力と元々持っていた性質としての優しさがあったため"優しくていい子"になっていたのだと思います。やはり、HSPの気質が大きく影響していたようです。あるエピソードを披露すると、祖母と母とそこそこ良いお店で昼食を取っていたのですが私は小学校低学年にも関わらず、値段を見て遠慮していたこともありました。また、よくもらったお小遣いで祖母や親にプレゼントを買っていました。相手の反応に敏感なあまり、それが自分の喜びになっている反面、本当に自分のしたいことと相手が喜ぶことの境界線が当時から曖昧になる土壌があったのです。

 

小学校高学年からは家族に暗雲が立ち込めていきますが、その話はまた次回。

コントロールするということ

人は無意識のうちに人をコントロールしている

自分と相手の境界線が曖昧になっていたり、自分の領域に踏み込まれていると感じることはありませんか?これは、家庭や学校、職場で頻繁に起きうることです。例えば、家族や恋人の不安定な感情や怒りなどによってあなたの行動がコントロールされている。こうしなければ、こうしてあげないと親に条件でコントロールされている。あるいは、上下関係のある友人に付き合いをコントロールされているなどです。

 

どのような人がコントロールしてくるか?

 

様々なケースがありますが、私の考えは自分に自信のない人がコントロールするというものです。ただし、そのパターンはいくつかあるように思います。

 

①支配欲が強い

②見捨てられ不安が強い

共依存状態にある

 

ここで言う自信がないというのは、その人の置かれている立場(役職や相手との関係性)と実像としてのその人に乖離があるということです。つまり、メタ的になりますがその人がその人であるということに自信がない状態です。これは、現時点のみを指すのではなく過去も含みます。その人自身を形作ってきた行動、健全な心の成長などに問題があればどこかで自分への自信がなくなってしまうでしょう。

 

①については単純に支配すること自体に快感を覚えるケースです。家庭では家父長制に代表されるいわゆる怖い父親でしょうし、会社などでは支配により自分の立場を維持しようとする上司などが考えられます。

②については子供をイメージするとわかりやすいでしょう。特に小さな子供は全てが不安で、親が絶対です。幼児期にたくさんの愛情を受けて、普遍性、つまり明日も変わらず明日がくると信じられることで子供は社会や他者への信頼を育んでいきます。この時期にトラウマになるような出来事や情緒的な愛情が注がれていない場合は、無意識のうちに見捨てられ不安が心にはびこり大人になったとしてもいろんな方方法で身近な人をコントロールしようとするでしょう。自分が見捨てられないように。

③については少々複雑です。共依存というのは、元々はアルコール依存症患者(主に夫)とその配偶者(主に妻)の関係性に着目して意味づけられた概念です。

共依存とは、自分と特定の相手が互いに過剰に依存し合い、その関係性に囚われている状態のことを指します。言い換えれば、お互いが相手に依存するあまり、自分自身を見失っている状態と言えるかもしれません。依存にも様々な種類がありますが、その中でも共依存は“関係性への依存”と言われています。元はアルコール依存症の患者とその家族の関係性から生まれた概念でした。飲酒の問題を抱える夫に対して、妻は自分を犠牲にしながら献身的に支え、世話をしますが、当事者の夫はますます酒に溺れて負のループに陥るといった具合です。今ではもっと広い意味で『問題を起こす人と、その人を支える人(問題を代わりに解決してあげようとする)という関係性に対して使われるようになりました。

 

特に自我が確立されていなかったり、自分に自信がない人がどうしようもない相手との関係性に取り憑かれるケースが多いようです。中には職場の上司と部下や親子でも共依存になるケースがあるようです。以下にチェックリストがあるのでぜひご覧ください。

 

□自らを犠牲にしてでも他人を助けたり、世話をする
□自分に対する評価はいつも低めで、自分に自信が持てない
□自分とは何か? と言われると困ってしまう
□何事に対しても一人でやっていけるという自信が持てない
□他人の行動、感情、生き方が気になり、変えようとコントロールしてしまう傾向がある
□他人のことも自分ごとのように思えてしまう時がある、あるいは相手の問題は自分のせいで起きていると思うことがある

そして、私の考えですがアダルトチルドレンはコントロールしたりされやすいと考えています。根本的に原家族の関係性において無意識の内にルールに縛られてきたわけですから、健全な自信や自己肯定感に欠如がある傾向があるのです。そのため、過度にコントロールしようとしたり、コントロールされている状態の方が落ち着くといった病理的な状態に陥りやすいのではないでしょうか。

 

普通のフリ、何かのフリをついついしてしまうアダルトチルドレンはとても生きづらいです。その時そのフリをしている自分は誰でしょうか。過去に守ってあげられたくて守られなかった、身を挺して犠牲になって自分を未来へ送り出してくれた小さい頃の自分自身なのです。いまだに自分を守ろうとしてくれているのです。コントロールしている時、されている時はマトリックスに侵入する瞬間のように自我がグラついています。それがサインです。

 

自分を守ってくれた小さい頃の自分のためにも、勇気を出してコントロールにNoをしましょう。

 

 

 

振り返るということ

あるがままに

良い映画を観れば、楽しかったり、感動したりする。良い音楽を聴けば嬉しくなったり、悲しくなったりする。時には笑ったり、涙を流したり、五感は健全な反応を示す。こういった”感覚"に異常はないようだ。

ただし、人と話すときは、感情よりも脳が主導し、相手の反応が気になってうまく話せない。話過ぎるか、話をしなさ過ぎるか両極端になってしまう。話すフリをして操作しようとしたり、聞くフリをして時間が過ぎるのを待っている。結果、とても疲れてしまう。見たり、聞いたりして真似るのはとても得意なので、それっぽい反応はできるが一歩踏み込んで親密な関係になるのが苦手だった。ようやく分かったことだが、どうやら自分は自己肯定感が低いらしい。

これは意外な発見だった。実は、私は世間一般で言うところの高年収で都内の人気エリアに住み、結婚もしている。恋愛についても、青年時代から恋人はおり屈折したコンプレックスがあったわけではない。そして、何となくだが自分にはポジティブで楽観的だと思い込んできた。何か不足の事態が起きても何とかなる、何とかしてきた、自分にはできると思ってきたし、実際にそうして様々な困難を乗り越えてきた。つもりだった。

実はポジティブなわけでも自分にすごく自信があるわけでもなかった。自分にあったのは、我慢して耐えるという能力。もっと言うと、問題を問題として認識せずにやり過ごすと言うことだった。これはアダルトチルドレンにありがちな特徴である。

以下、アダルトチルドレンについての引用

もともとアダルトチルドレンという用語は1969年に出版されたマーガレット・コークによる”The forgotten children : a study of children with alcoholic parents”(忘れられた子どもたち-アルコール依存症の親に育てられた子どもの研究)という書籍の中で使用されたことから始まります。

そのため、アダルトチルドレンはAdult Children of Alocoholic通称はACOAと言われていましたが、その後簡略化してACとか言われたりすることもありました。そして、アルコール依存症の親だけではなく、不適切な養育をする親にまで対象は広がっていきました。それが1980年代に登場した機能不全家族という用語につながっています。

上記は、今で言う"毒親"に育てられた子供も含んでいる。分かりやすい破綻した家庭だけではなく、表面的にはうまくいっている、社会的な地位の高い家庭においてもアダルトチルドレンは生まれる可能性がある。過干渉の親、情緒的な愛情を注げない親、母と父が共依存関係にある、実は両親自体がアダルトチルドレンである。など、ケースの多さについては枚挙に遑がない。私について述べる。端的に言うと、私の育った家族は機能不全家族であった。私が10歳くらいの時に父がアルコール依存症となり、うつ病を発症(のちに双極性障害II型と診断)、マンション投資の失敗による借金問題や度重なる自動車事故もあり、めちゃくちゃな状態だった。最も驚くべきことは、私は"他所とは違うけど、何とか成り立っている"と惨憺たる状況をある意味で受け入れていたということだ。これは大変な問題を孕んでいた。事実、私は成人後たまに幼少期を思い出すにつけ、色々あったがよくここまで乗り越えてきたものだ。と自分に話しかける事があった。しかし、実は何も問題は解決していなかった。再度、引用する。

 

ファーマーは機能不全家族の特徴を以下のように8つ挙げています。

拒絶的である

矛盾している

家族の成員に対する共感が欠如している

家族間の境界線が欠如している

親子の役割が逆転している

社会から孤立している

曖昧なメッセージを伝える

極端な論争や対立が繰り返されている

出典:Farmer, S. “Adult Children of Abusive Parents”, pp19-34. Ballantine Books, 1989,

またウォイティッツはアダルトチルドレンを作る機能不全家族の特徴を以下のように挙げています。

 

非合理的なルールが存在している

親が親役割が放棄し、子どもが親役割をする

家庭に他の人が入ることに強く抵抗する

雰囲気がとても暗い

家族間でプライバシーが侵害されている

家族から離れることができない

家族のなかで起こった苦痛や大変さは無視される

変化することに著しく抵抗する

家族同士が分断されている

出典:ジャネット・G・ウォイティッツ「アダルト・チルドレン―アルコール問題家族で育った子供たち」金剛出版 1997

 

 

 

かなりの項目が当てはまった。原家族における関係性の病というのは恐ろしい。今、悩んでいる(とは言ってもアダルトチルドレンと自覚して改めて感じていることではあるが)ことについて、リンクしてしまうのだ。1つ1つのエピソードについて言及するのは順を追って実施していくが、分かりやすい事例を挙げておく。

"私はうまく怒るということができない"

怒り方がうまく分からないと言うか、一種の感情鈍麻なのである。怒っているような状態を示すことはできるが、これは感情の発露というよりは"反応"である。そして、今なお私は父、また父を追い込んだ母や祖父母に対して怒りをうまく感じられていない。父を振り返る時も、かわいそう。優しかったといつも思ってきた。父が当時、泥酔して大騒ぎして母と大揉めしているような夜があったとしても、"許そう""自分は怒らない"と決めて必ず翌朝には誰よりも優しく接しようとしていたし、そうしてきた。子どもにとって、親は絶対信じたい存在である。そして、家庭というのはまるで子宮の中にいるような恒常性と安心をもたらすはずの場である。今日と同じ明日、明後日が続くと信じられているからこそ、子どもは子どもらしくのびのびと過ごし、愛情を与えられて自分自身への自信、社会や他人への信頼を育めるのだ。

私のケースについて、一概に比較してはいけないがネグレクトや虐待などさらに過酷な状況とは異なる。しかし、今私が抱えている問題はまさに原家族にあった。トラウマやそのせいにするつもりはない、大人になってからの責任は自分にある。ただ、見て見ぬふりはできないということだ。同じような環境であってもアダルトチルドレンにならない方もいる。何らかの方法でインナーチャイルドを育てることができる方もいる。ただし、人には持って生まれた特質がある。私は家庭に顕著な問題が生じる前から、かなり大人びた敏感な側面があった。いわゆるHSP気質だった。そのため、より家庭環境に影響を受けやすい状態だった。機能不全家族の中で、自らが担うべき役割を敏感に感じ取り、家族がバラバラにならないように振る舞うという選択を取ったのだ。それは、恒常性を持つべき家族が壊れないための、生き抜くための手段だった。

 

どうして今、自分の気の赴くままに生きられないのか、楽しんではいけないと思い込んだり、生きづらさを抱え続けているのか。同じような方は多いと思う。私は回復の道に立ったばかりだ。全ての回復は、自覚するということから始まる。振り返るということ。怒るのでもなく、否定するのでもなく、ただあるがままに事実を見つめ直し整理をするということ。とても辛い時期が続くが急ぎすぎず、焦りすぎずに来年を良い年にできるように過ごしていきたいと思う。

回復への道に立って

自覚するということ

ずっと感じてきた違和感。うまく楽しめない、言い知れない不安、気になる人々の目、原因不明の疲れと頭痛、伝わらない気持ち。物心ついた頃から、いつも自分を見ているもう一人の自分。現実感が乏しく、毎日を何とか乗り越えてきたけどいつも付き纏うベットリとした影に怯えてきました。どこにいても、ここにいてはいけないような感覚。

楽しいこともたくさんありました。でも、楽しい気持ちの後には二日酔いの後のような気だるさ、焦り。楽しむことが悪いような、気後れするような感覚。

演技はたくさん身に付けました。どうすれば、普通に見えるか。どう振る舞えばマトモなのか。良い人そうだと思われるのはきっと、とても得意です。

人の気持ちや感情はとても敏感によく分かります。辛そうな人や悲しんでいる人がいると、何とかしないとと急にエネルギーが湧いてくる。しかし、反面、どこかですごく冷めて見ている自分もいる。自己主張できている人を見ると、不快感を覚えてしまう。

 

そして、段々と自分の感情が枯れてくる感覚、出来事や他人の感情に反応してケアばかりしてきた結果、私は長らく感情鈍麻に陥ってました。自分では、よくマトモに育って生きてこれたな。と自分のことを褒めたこともありましたが、実際にはエンジンの壊れた車に燃料を必死で注ぎ込んでなんとか走ってきただけでした。

 

これに気づくのに、24年かかりました。

 

2021年9月、私は自分が機能不全家族のもとで育ってきたアダルトチルドレンであると自覚しました。また、機能不全家族の中で身につけた不健全な思考・行動が心と体に深く根を張り、私を守ると共に本来の私を遠い過去に置いてけぼりにしてしまったと知ったのです。

 

私は、まだ回復への道のりを歩み始めたばかりです。足取りは重く、進んでいく先には霧がかかり、険しく不安定な道が続いています。このブログは大切な人を傷つけてしまい、激しい後悔と自己嫌悪と逃避の中、生まれ変わろうと一歩を踏み出したひとりの人間の物語です。私自身のために文章を綴っていきますが、どこかで見てくれている大切な人、そして誰か1人でも心に届き、それぞれの回復の道に繋がればと願っています。

 

文章と物語は1つの地続きではなく、今と未来と過去を行き来したりすることがあるかも知れません。深い苦悩と人生の先に、必ず回復と再生が訪れると信じて、自らが親になれる日が来るとこを願い、ブログを続けていきたいと思います。