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振り返るということ

あるがままに

良い映画を観れば、楽しかったり、感動したりする。良い音楽を聴けば嬉しくなったり、悲しくなったりする。時には笑ったり、涙を流したり、五感は健全な反応を示す。こういった”感覚"に異常はないようだ。

ただし、人と話すときは、感情よりも脳が主導し、相手の反応が気になってうまく話せない。話過ぎるか、話をしなさ過ぎるか両極端になってしまう。話すフリをして操作しようとしたり、聞くフリをして時間が過ぎるのを待っている。結果、とても疲れてしまう。見たり、聞いたりして真似るのはとても得意なので、それっぽい反応はできるが一歩踏み込んで親密な関係になるのが苦手だった。ようやく分かったことだが、どうやら自分は自己肯定感が低いらしい。

これは意外な発見だった。実は、私は世間一般で言うところの高年収で都内の人気エリアに住み、結婚もしている。恋愛についても、青年時代から恋人はおり屈折したコンプレックスがあったわけではない。そして、何となくだが自分にはポジティブで楽観的だと思い込んできた。何か不足の事態が起きても何とかなる、何とかしてきた、自分にはできると思ってきたし、実際にそうして様々な困難を乗り越えてきた。つもりだった。

実はポジティブなわけでも自分にすごく自信があるわけでもなかった。自分にあったのは、我慢して耐えるという能力。もっと言うと、問題を問題として認識せずにやり過ごすと言うことだった。これはアダルトチルドレンにありがちな特徴である。

以下、アダルトチルドレンについての引用

もともとアダルトチルドレンという用語は1969年に出版されたマーガレット・コークによる”The forgotten children : a study of children with alcoholic parents”(忘れられた子どもたち-アルコール依存症の親に育てられた子どもの研究)という書籍の中で使用されたことから始まります。

そのため、アダルトチルドレンはAdult Children of Alocoholic通称はACOAと言われていましたが、その後簡略化してACとか言われたりすることもありました。そして、アルコール依存症の親だけではなく、不適切な養育をする親にまで対象は広がっていきました。それが1980年代に登場した機能不全家族という用語につながっています。

上記は、今で言う"毒親"に育てられた子供も含んでいる。分かりやすい破綻した家庭だけではなく、表面的にはうまくいっている、社会的な地位の高い家庭においてもアダルトチルドレンは生まれる可能性がある。過干渉の親、情緒的な愛情を注げない親、母と父が共依存関係にある、実は両親自体がアダルトチルドレンである。など、ケースの多さについては枚挙に遑がない。私について述べる。端的に言うと、私の育った家族は機能不全家族であった。私が10歳くらいの時に父がアルコール依存症となり、うつ病を発症(のちに双極性障害II型と診断)、マンション投資の失敗による借金問題や度重なる自動車事故もあり、めちゃくちゃな状態だった。最も驚くべきことは、私は"他所とは違うけど、何とか成り立っている"と惨憺たる状況をある意味で受け入れていたということだ。これは大変な問題を孕んでいた。事実、私は成人後たまに幼少期を思い出すにつけ、色々あったがよくここまで乗り越えてきたものだ。と自分に話しかける事があった。しかし、実は何も問題は解決していなかった。再度、引用する。

 

ファーマーは機能不全家族の特徴を以下のように8つ挙げています。

拒絶的である

矛盾している

家族の成員に対する共感が欠如している

家族間の境界線が欠如している

親子の役割が逆転している

社会から孤立している

曖昧なメッセージを伝える

極端な論争や対立が繰り返されている

出典:Farmer, S. “Adult Children of Abusive Parents”, pp19-34. Ballantine Books, 1989,

またウォイティッツはアダルトチルドレンを作る機能不全家族の特徴を以下のように挙げています。

 

非合理的なルールが存在している

親が親役割が放棄し、子どもが親役割をする

家庭に他の人が入ることに強く抵抗する

雰囲気がとても暗い

家族間でプライバシーが侵害されている

家族から離れることができない

家族のなかで起こった苦痛や大変さは無視される

変化することに著しく抵抗する

家族同士が分断されている

出典:ジャネット・G・ウォイティッツ「アダルト・チルドレン―アルコール問題家族で育った子供たち」金剛出版 1997

 

 

 

かなりの項目が当てはまった。原家族における関係性の病というのは恐ろしい。今、悩んでいる(とは言ってもアダルトチルドレンと自覚して改めて感じていることではあるが)ことについて、リンクしてしまうのだ。1つ1つのエピソードについて言及するのは順を追って実施していくが、分かりやすい事例を挙げておく。

"私はうまく怒るということができない"

怒り方がうまく分からないと言うか、一種の感情鈍麻なのである。怒っているような状態を示すことはできるが、これは感情の発露というよりは"反応"である。そして、今なお私は父、また父を追い込んだ母や祖父母に対して怒りをうまく感じられていない。父を振り返る時も、かわいそう。優しかったといつも思ってきた。父が当時、泥酔して大騒ぎして母と大揉めしているような夜があったとしても、"許そう""自分は怒らない"と決めて必ず翌朝には誰よりも優しく接しようとしていたし、そうしてきた。子どもにとって、親は絶対信じたい存在である。そして、家庭というのはまるで子宮の中にいるような恒常性と安心をもたらすはずの場である。今日と同じ明日、明後日が続くと信じられているからこそ、子どもは子どもらしくのびのびと過ごし、愛情を与えられて自分自身への自信、社会や他人への信頼を育めるのだ。

私のケースについて、一概に比較してはいけないがネグレクトや虐待などさらに過酷な状況とは異なる。しかし、今私が抱えている問題はまさに原家族にあった。トラウマやそのせいにするつもりはない、大人になってからの責任は自分にある。ただ、見て見ぬふりはできないということだ。同じような環境であってもアダルトチルドレンにならない方もいる。何らかの方法でインナーチャイルドを育てることができる方もいる。ただし、人には持って生まれた特質がある。私は家庭に顕著な問題が生じる前から、かなり大人びた敏感な側面があった。いわゆるHSP気質だった。そのため、より家庭環境に影響を受けやすい状態だった。機能不全家族の中で、自らが担うべき役割を敏感に感じ取り、家族がバラバラにならないように振る舞うという選択を取ったのだ。それは、恒常性を持つべき家族が壊れないための、生き抜くための手段だった。

 

どうして今、自分の気の赴くままに生きられないのか、楽しんではいけないと思い込んだり、生きづらさを抱え続けているのか。同じような方は多いと思う。私は回復の道に立ったばかりだ。全ての回復は、自覚するということから始まる。振り返るということ。怒るのでもなく、否定するのでもなく、ただあるがままに事実を見つめ直し整理をするということ。とても辛い時期が続くが急ぎすぎず、焦りすぎずに来年を良い年にできるように過ごしていきたいと思う。