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愛するということ②

印象に残ったフレーズ

「愛とは自然に発生する感情ではなく、その人の意志であり技術である」「自分自身を愛せない者は、他の誰も愛せない」

 

人は誰しも、どうすれば愛されるか?を考えている。あるいは誰を愛するか?にばかり注意を払っている。それは多くの場合、自分中心の思考であってたり対象を問題としていたりする。しかし、実は重要なことは、自らがどうすれば相手を愛せるか。なのだ。

 

愛されているから、愛する。愛されたいから愛する。といった利己的、未熟的なものは愛ではない。また、自分しかいないから愛する。必要とされているから愛する。といった利他的な考えも、同様に強烈なナルシジズムを内面にはらんでいて、成熟しているとは言えない。ただ、自分が決めた相手を全力で信じて飛び込む。成熟した、思考、振る舞いによってその愛が結果として受け入れられて、生産的な愛情が周囲に広がっていく。

 

自分は、優しい振る舞いや相手のために我慢すること、先回りして行うこと、感情に反応することを愛だと勘違いしていました。利他的であればあるほど認められたい欲も出てきて空回りする。唯一の答え合わせは、その愛が生産的な活動かどうか、何かをまた生み出しているかどうか、なんですね。

 

愛するということ①

印象に残ったフレーズ

愛することの本質は自分から「与える」ことだ。「自分の喜び、興味、理解、知識、ユーモア、悲しみなど、自分のなかに息づいているものすべてを与える」。それは「自分のもてる力のもっとも高度な表現」であり「自分のもてる力と豊かさを実感する」行いだ。与えることは「それゆえに喜びをおぼえる」楽しいことなのだ。

相手を全力で信じて勇気を持って関わる。利己的でも利他的もない。生産的な活動。

個人的に、成熟していない人はナルシシズムが見られるという点が印象に残った。利己的の場合は分かりやすい(いわゆるワガママ、幼稚)が、利他的な考えにおいても内面には強烈なナルシシズムが隠れているとのこと。自分が犠牲になってXXしてあげているという考えがもたげている。ここでは行為は優しいが、気持ちは優しくなく空回りすることが多いそうだ。つまるところ、本人は愛情として行っていても相手には伝わらないという悲しい事態になる。それでは、生産的とは言えないのだ。

焼肉が美味しくなかった話

焼肉が美味しくなかった

今、わけがあって地元に戻っているのだがオミクロンの影響もあって娯楽が全くない。また、自分自身冬の寒さと陰気さにあてられてしまいガッツが湧かない日々を送っている。そんな中、かねてより1人焼肉に行きたいという非常にささやかな野望を持って何とか日々を乗り越えていたのだが、それがついに実現した。

 

自転車しか交通手段がないため、何度も何度もGoogle Mapでリサーチをした。田舎なので近所には焼肉屋があまりなかった。30分くらいかければかなり美味しそうな店もあるのだが、ランチをしている店はあまりない。しかし、今日は偶然の巡り合わせか29日(ニクの日)ということもあり、自分自身はモチベーションMax。ついにやってやるぞと言わんばかりに野望を叶えようとしていた。さながら、男子中学生が初めてエロ本をgetしようとしているのと同じくらいのモチベーションである。

 

夜であれば、かなり高額ではあるが確実に美味しいであろうお店を発見していた。しかし、家族連れも多い中1人で行くのは流石に憚られたためランチをしていないことを言い訳に、対象から除外した。そこで、ちょうど良い距離でランチもしている店に照準が合わせられた。そこはカルビを前面に打ち出している店だが、Google Mapの評価はあまり高くなかった。自分で言うのもなんだが、そこそこ良い焼き肉を食べてきているため不味い焼き肉は食べたくなかった。ただ、小学生の頃同じブランドの焼肉屋の別店舗に行ったことがあり、思い出補正もあったのか「なんとなくいけるんじゃないか」という気になっており、結局その「カルビを全面に出している焼肉屋」に行くことにした。しかも、現金であれば29の日なので30%金券がgetできるようだ。

 

日中だがかなり寒い中自転車をこいで15分、焼肉屋に着いた。オミクロンの影響もあるのかお昼時だが店内は空いていた。1人で来店するケースがよほど珍しいのか、案内してくれる店員は少し気の毒そうな顔をしていた。田舎では焼肉屋は家族でワイワイ行くものだと相場が決まっている。招かれざる客は奥のBox席に案内された。心なしか、ほっとする。

 

メニューを見ると、さすが「カルビを全面に出している焼肉屋」だけあってランチセットもカルビが含まれたものが多い。大きく分けると1,000円のセットと1,500円のセットがあり、ほぼ迷うことなく1,500円のセットを選んだ。しかもWカルビセットなので2種類のカルビが楽しめるという至極のセットである。マスクを付けているからか、3倍増しくらいに可愛く見える店員さんに胸を張って注文をした。田舎でランチに1,500円、躊躇なく選ぶとは只者ではない。という表情をしていた気がする。ついでに+100円の烏龍茶もセットでつけたことで、店員さんは焦りを隠せないでいた。1,600円、もはや都内のそこそこ美味しい焼き肉ランチと同額である。

 

注文を終えて、束の間の満足感を味わっているとなんと1分くらいでセットが出てきた。キムチ、スープ、サラダ。客がいないだけあって、今か今かと出番を待ち構えていた前座くんたちである。この時、Google Mapの評価が低いという事実と前座くんたちを見て感じた嫌な予感に襲われた。

 

キムチが、とても少なかったのだ。

 

焼肉に自信のある店は、キムチを蔑ろにしない。意外と、自家製とかでこだわる事すらあるのがキムチなのだ。しかし、1分で提供されたキムチは小指でも掬えそうなほど少量で、心なしか乾いていた。サラダはサラダでドレッシングがビタビタだった。念の為、ドレッシング増し増しと注文していないことを脳内で確認した。スープは、スープはまともだった。通常の前座くんだとワカメスープが卵スープなのだが、ちょっとテールスープの味がした。ちょっとだけだけど。

 

一通り前座を倒すと、肉とライスが運ばれてきた。どうやらライスはおかわりし放題らしく、誇らしげにその旨を伝えられた。しかし、私の視線は肉に注がれていた。なんか、ちょっと変だ。なんか、美味しい店の肉と見た目が違う。Wカルビは、薄いロースっぽいカルビといわゆる上カルビそれぞれ5切れほどだった。恐らく、大して焼肉にこだわりがない人間なら見落とすだろうが、サシが不自然だった。

 

気を取り直して、肉を焼く。慎重かつ、大胆に網に並べていく。油が溶け出し、ロースターで気化しジュッと煙が舞い上がる。確かに焼き肉を。焼き肉をしていた。

薄いカルビはすぐに焼けた。焼けたのだが、なんか変だ。ブニョっとしている。これを私は見たことがある。確かに見たことがあるのだが記憶を辿るとそこは焼肉屋ではなかった。松屋だった。松屋のカルビ定食。ブニョっとしていて、とりあえず肉食べれれば良いだろって感じで期待値だけ間違わなければそれなりにご飯が進む、そんな肉だった。

 

少し焦りながら、口に運ぶ。3種類準備しておいた、どのタレにつけたかはもう覚えていない。口に入る。噛む。ブニョっとした感触が舌に伝わる。味は、普通だった。ただ、松屋と大して変わらなかった。認めたくなかった。上カルビも焼けたので口に運ぶ。普通だった。多分、スーパーで売っているお肉の方が美味しい。少し冷静になっていたので、ちゃんと白米もかっこんだ。ちゃんと米は食べれる。どんな時でも、米は肉に合わせて踊ってくれる。万能なんだ。米は。

 

その後も、普通のお肉を堪能し、ちゃんとライスを食べ切ることができた。自慢のおかわりし放題は遠慮しておいた。それほどポテンシャルのある肉ではなかったため、ライスの気持ちも考えるとお代わりという選択肢はなかった。油で早くも胃もたれを感じながら、少し重い足取りでレジに行った。なかなか店員が来ない。手持ち無沙汰になり、レジ横のブドウ飴を思わず手に取る。普段なら、会計後にすすめられて、あ、どうしよう。あって言いながら手に取るブドウ飴を初めて自らの意志で手に取る。

 

会計が終わる。税込1,760円。30%還元と考えると大体1,200円。まあいいか。そんな気分で特に高揚感もなく会計を済ませる。そして、「ありがとうございました」という爽やかな店員の声かけを受け取る。あれ。なんかがおかしい。今日は29の日ではないか。金券はどうした。チラッとレジに貼ってある紙を見ると、金券については「ランチは除く」と書いていた。瞬間、全てを悟った私は慌てて、「ご馳走様でした」と言って、足早に立ち去った。

 

ランチに1,760円払って松屋を食べた私は、金券もらっても多分来なかったな。とポジティブに思いながら、子供の頃と変わってしまった自分の舌を少し恨みながら自転車に向かった。そして、思い出補正ほどあてにならないものはないな。と冷静に敗因を分析して、帰路に着くのだった。

 

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Wカルビ焼肉定食

 

わたしの物語②

原因不明の体調不良

小学校4年生の時、学校をよく休んでいた。お腹が弱いのは元々だが、この頃はやたらと微熱が続いていた。はっきりと記憶していないが、1週間くらい休む。というのを3回ほど短期間に繰り返して担任の先生が家庭訪問してきた。家ではあまり心配されていなかった気がするが、そこそこの事態だったようだ。

 

当時の記憶としては、同級生がうるさかったり、馬鹿みたいに騒いでいるのが"しんどく感じる"といったものだ。脳が刺激を受けすぎるので学校を拒否していたのだと思う。あと、怖い教師(○すとか口走るような輩)がいたのも嫌だったと記憶している。そのため、深刻な体調不良というよりはプチ不登校といった状態だった。よく、兄の友達に混じってNINTENDO 64の007ゴールデンアイを楽しんでいた。

 

しかし、この時の事を思い出すともう1つの事実が浮かび上がってくる。実は、父親が体調不良になり仕事を休みがちになったのがちょうど私が小学校3年〜4年の頃だったのだ。前回のブログでも述べた通りHSP気質だった私は恐らく家庭内の異変に気づいていたのだと思う。また、当然だが父親の不調は隠されていたため「何が起きているか分からない」状態だった。しかし、私は恐らくその異変を感じ取っており強くストレスを感じていたのだろう。ニワトリと卵の話になってしまうが、結果として小さい私はプチ不登校という形で声を上げていたのだと思う。

 

その後は、なんとなく学校に通うようになりサッカークラブなどで活躍したり、学校のテストも良い成績でいわゆる優等生として過ごしていた。父親も体調の波はある中でサッカーの応援に来ていたり、キャンプに行ったりと父親らしく振る舞おうと努力してくれていたそうだ。小学校5年くらいになると塾に通い出すのだが、あまり熱心には勉強しなかった。ただ、成績は良かったので地元で上位校を受験する予定でなんとなく過ごしていた。最近気付いたのだが、実はこの頃の記憶があまりない。特に家での記憶が非常に曖昧になっている。そんな中で、とても不気味で鮮明な記憶が一つある。

 

小さい頃遊んでいたおもちゃを破壊し尽くした

 

まるで巨人が人類を蹂躙するかのように、庭でウルトラマンゴジラのおもちゃをクワでバラバラに壊した。自分で言うのもなんだが、大人しくて優しい子どもだったのでこの行為は信じられない。何かにとても怒っていた。そう感じる。大袈裟かもしれないが、行き場のないエネルギーが怒りとなって破壊衝動になっていた。あるいは、自分の中の子どもを殺すイニシエーションだったと理解している。恐らく当時の私はこの時に封印されたのだろう。以後、今に至るまで解離症状があるのだがこの時がきっかけだったように思う。

 

もちろん、こんな事には誰も気づいていないし自分すら気づいていない。恐らく兄弟も何かの葛藤を抱えていたのだろうが、あまり正面を切って話すような関係ではなくなってしまっていたので実態は定かではない。ただ、この頃から兄弟喧嘩が増えてしまった。何かみんなが秘密を抱えているような家族に変貌し、健全な情緒の交流がなくなってしまったのだ。

 

それぞれの役割によってなんとか維持されている機能不全家族

 

がこの頃に出来上がっていくことになるのだった。

↓は再掲

機能不全家族
・非合理的なルールが強く維持されている
・子どもを守るという親の役割が放棄され、子どもが親のケアをすることがある
・家族もすでに分かっているけれど、公にできない秘密がある(性的虐待など)
・家族のなかに他人が入り込むことに抵抗がある
・暗い雰囲気でほとんど笑いがない
・家族同士のプライバシーがない(個人間の境界があいまい)
・家族から離れることが許されていない
・家族間の嫌なことや葛藤などは否定されて無視される
・変化に抵抗する
・家族は分断され、統一性がない

【機能している家族】
・親子それぞれの基本的なルールはあるが、柔軟に対応しながら家族を運営している
・親としての役割が機能し、子どもは親の役割を受け入れる。役割分担が明確で迷いがない
・家族に他人が入ることを許容する
・ユーモアのセンスが共有され、親にも子にも笑いがみられる
・家族それぞれのプライバシーが尊重され、自己という感覚を発達させている
・家族それぞれが家族であるとの所属感覚を持つが、家族から去ることも自由である
・家族間の葛藤はあって当然とされていて、そのたびに解決が試みられる
・常に変化し続ける
・家族に一体感がある

Concept inner child Royalty Free Vector Image - VectorStock

 

イネイブラー

四次元ポケットには何でも入っているのか

 

今日は最近、気になっているイネイブリング(それを提供するイネイブラー)について考えてみました。

 

皆さんはこんな経験はないでしょうか?人間関係の中で、依存される・同じ問題を度々引き起こしている・前に進まず泥に沈んでいるようだ・・

それらは実は、(相手を介して)自分が引き起こしているのかも知れません。

一見するとパラドクスに感じるのですが、俯瞰して考えた時に自分自身の行動を変えるきっかけになるはずです。

 

「イネイブリング」とは、やってほしくないと思っている行動があるのに、気がつかないうちにその行動をし続けても大丈夫なようにする周囲の人の行為です。

 

端的に言ってしまうと、元々はアルコール依存症の夫の妻に注目して発見された概念となります。夫がどれほどアルコールで失態を犯しても、側で妻が支えることで安心してアルコールに依存できてしまう。妻はアルコール依存を止めさせたいと言いながらも、夫を支配できる万能感から実は夫のアルコール依存を助長している。

 

これはよく起きそうな話です。そして、この歪な関係性によって夫婦、家族のバランスが取られてしまい共依存機能不全家族に繋がる事がよくあるようです。当然ですが、その際家族の役割や境界線は曖昧になり、子供に与える影響は大きいでしょう。妻は、外に対しては夫のアルコール依存を隠すでしょうし、子供に対して夫の辛辣な話をする(または隠す)一方で、夫に対しては泥酔した夜は厳しく接したり、しっかりしている朝には優しく接するかも知れません。このような一貫性のない環境に対して、子供は大きく混乱することは想像に難くないでしょう。

 

そして、このような話はアルコール依存の家族がイネイブラーとなる以外のケースでも起きえると思います。引きこもり、うつ病、何らかのアディクションを含めて本人はそこから救われたいと思いながらも救われたくないと考え行動している時に、それを許すことで助長する。甘えに対して受容することで、可能にする。まるで親に甘える子供に応えるかのように、いつまでもそのままで良いんだよと。

 

私は、イネイブラー側に十分な自己肯定感がなかったり、正しい愛情の注ぎ方を知らない場合に起きやすくなると考えています。あるいは相手の痛みや辛さに敏感過ぎて、過剰に反応してしまうケース。いずれの場合も相手と自分との境界線が曖昧になっている気がしてなりません。相手の状況や感情は相手に帰属するものです。私たちは、自分の感情をコントロールすることすらできないので、相手の感情など到底コントロールできません。しかし、応えようとしてしまうのです。救おうとしてしまうのです。それは健全な愛情からくる行動ではないでしょう。同化による支配、罪の意識、事態の収集など刺激に対する反応でしかありません。

 

私もよくそのような行動を取ってしまいます。空気が悪くなると責任を感じて収集しようとしたり、怒っている人がいると辛く感じて解消しようとしたり。その背景の感情や相手の責任を自分で取ろうとすることもあります。そうすると、何が起きるのか?また同じことが起きるのです。優しさと無責任さは紙一重です。無責任は同じ問題を引き起こすきっかけになります。そして、また辛い思いをするのは自分なのです。

 

では、どうすればいいのか?

 

無視する、放っておくことを覚えるということです。こんな話があります。アルコール依存症の夫は毎晩のようにお酒を飲んでは問題を起こし、妻は疲れ切ってました。ある夜、妻が気づくと夫は階段の下で倒れていました。どうやら酒に酔って転倒したようです。妻は大変混乱し、かかりつけのアルコール依存症専門の医者に電話しました。医者のアドバイスは「一旦ほったらかしにして数時間外出してください」というものでした。夫は何回も酒をやめると言いつつ、失敗を繰り返し、その度に「死にたい」「責任をとって死ぬ」と妻に言っていました。妻はその度に許してきました。

 

これによって夫はアルコール依存でい続けられていました。

 

妻が悪いわけではありません。人間関係の病とも言うべきアルコール依存症の一つの姿として存在する典型パターンがあるということです。この病は人の無責任と責任につけ込んで心を蝕みます。真面目な"支える側"の人にとっては報われない話かも知れません。ただ、時には、一歩引いていつもと違う行動をしてみることも大事です。同じようなパターンの問題が続いている時、それは自分の行動パターンが引き起こしているのかも知れません。

 

 

 

トンガの大噴火、過去の大地震・津波

記憶

トンガの海底火山大噴火による津波は日本において大きな人的被害を出さずに済んだようだ。一方で、漁船が沈没したり、ブリの稚魚が大量死したそうなので被害に遭われた方々の心中は察するに余りある。

当日、今住んでいる所でも津波注意報が発令され、数時間は心配な状況が続いた。スマホにも自治体から数回警告が通知されたが、彼らの狙い通り私の心拍数はかなり上がる夜となった。

 

結局その日は何とか眠りについたのだが、後日が阪神淡路大震災が起きた日だったこと、またそれを題材にした小説をたまたま読んだこともあり数日間は地震津波が心配な状況になっていた。そして今日、いざという時の避難場所を調べたりしている内に、気付けば南海トラフが起きた場合についての動画をYoutubeで視聴していた。最近Youtubeはあまり見ていないのだが、一つの動画を視聴すると関連動画が提示されるため一度見出すと結構な間見続けてしまうことが多い。今日もそのパターンだった。

 

いくつか南海トラフの想定動画や特集番組を視聴して、3.11の時を思い出し当時のニュースや映像も流していた。私は当時大学生で、住んでいた場所は震度5強ながら津波の被害などはなく近所で電柱が倒壊したくらいだった。しかし、動画を見ているとやはり当時の恐怖や緊張感が思い出され、11年前とは思えないほど生々しい感覚があった。

そう思うと、自分が被災しているかに関わらず、当時はとにかく緊張感のある非常事態であり、また目にしていたニュースもショッキングな内容だったので心と記憶に深く刻み込まれていたようだ。自分ですらそうなのだから、日常的には思い出さなくてもきっと多くの人にとってもある種のトラウマとなっていることだろう。近年、これほど多くの人が同時にトラウマになり得る事を体験した例は少ないのではないだろうか。

今も進行中のCovid-19についても数年後には同じように語られるかも知れないが、他に国内で思いつく大事件というと地下鉄サリン事件などだろうか。恐らく、電車や地下鉄が怖くなった方もいた事と思う。他にも凄惨な事件や事故は多くあったが、全国民レベルで。となると数十年単位で考えてもあまり思いつかない。

 

さらに遡り、少し飛躍すると、やはり一番多くの人が体験したトラウマというのは太平洋戦争の敗戦になるのではないだろうか。個人においても多くの方が亡くなり、またその家族の人生も大きく変わったという意味だと4年だけの出来事ではなく脈々と今日まで影響が続いているように感じる。

 

以前、カウンセラーの先生と話していて言われた。「日本はアダルトチルドレン大国ですよ」たしかに、当時戦争などで安心した生活などどこにもなかった状況を考えるときっと多くのアダルトチルドレンが発生していたであろうことは想像に難くない。当時こどもだった世代だから、今だと80歳〜90歳くらいだろうか。そして、私の祖父母も見事にここに合致していた。生い立ちなども聞いたが、「ああなるほど」という内容であった。祖父は亡くなっているがアルコール依存症だったし、祖母は今で言うコントロール型の毒親タイプ(彼女もまた情緒的な愛情を受けずに育った)である。2人は共依存関係だった。

 

そして、私の父親も感情に薄くアダルトチルドレン傾向というのもあり、アルコール依存症となりうつ病も発症した(後に双極性障害Ⅱ型と診断)。アダルトチルドレンや依存症を子どもが引き継いでしまうケースが多いと考えると、このような事例は日本全国枚挙に暇がないと思う。そう考えると社会がより不安定になっているというのもあるが、敗戦時に少年少女だった子どもたちの孫にあたる20代〜30代はアダルトチルドレン大発生世代ということになりそうだ。

 

戦争というのは多くの命が失われるだけでなく、その国に住む人々、またその下の世代にも大きな傷跡を残すものだと思う。日本はたまたま共産圏との防波堤という役割もあり、経済復興によって一時的に自信を取り戻したように感じるが私たちの心の奥底にあるコンプレックスや静かな怒り、悲しみというのは消えていないように感じる。